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国鉄宮原線の廃線跡をたずねて ~山口研Diary番外編~

今日のDiaryは、いわゆる「研究室で〇〇やりました!」っていうやつじゃなくて、番外編です。

そうは言っても、当研究室の研究内容と大いに関係するのですが。

こないだの土日、色んなことから解放された山口はキャンプ🏕にでかけました。

行先は阿蘇郡小国町。

自然の中ですっかりリフレッシュした山口は、あることを思いつきました。

「あそこに行ってみようかな...」

...と、やってきたのは国鉄宮原線の廃線跡。

知ってました?

かつて、こんな山奥にも国鉄が通っていたのです。

1937年 (昭和12年) に開業、1984年 (昭和59年) に全線廃止。

開業当時は戦時中だったため、レールなども武器を作るために回収されたとの話が残っています。

金属材料が大変な貴重品だった時代です。

...「え?山口って鉄ヲタだったの?」という声が聞こえてきそうですね💦

確かに、電車でガタンゴトンの旅も好きではありますが、そうじゃなくて。

今回僕がここを訪れたのは、廃線跡の橋梁群を見るためなんです。

ここの橋梁群、日本では絶滅した竹筋コンクリート構造物の生き残りではないか、と言われているんです。

上に書いた金属類回収令のしわ寄せは建設業にも押し寄せていたらしく、本来ならコンクリートを補強するはずの鉄筋が手に入らない。

そこで、当時の人たちは鉄筋の代わりに竹をコンクリートに入れたそうなのです。

熊本寄りの橋梁から見ていきましょう。

まずは幸野川橋梁。

田園地帯に突如として現れるその姿には「うおおおっ!」となります。

下を通る県道がいつの間にか2車線になってましたが、見たところ最近できたばかりのようです。

この橋梁が竹筋コンクリート橋として最も有力視されているようです。

建設時に「竹を見た!」という目撃証言が複数あるらしい。

コアを抜いたら竹の断面が現れたとの調査報告も出ています。

この橋を渡ってみました。

橋のそばの民家を抜けて、ヒョイヒョイっと橋上に上がれるようになっています。

今は歩道橋になってるのかなと思いきや、床版の路面には轍 (わだち) が!

橋上からの風景。

とってものどかな田園風景でした。

ゆうステーション (道の駅小国) を出発してこの橋を通る遊歩道が整備されているそうです。

今度学生たちと一緒に歩いてみようかな。

続いて北里橋梁。

すぐそばには、熊大建築の学生なら一度は訪れる「木魂館」が存在します。

近接している堂山橋梁 (上) と汐井川橋梁 (下)。

この二つの橋梁は、国道387号線からわいた温泉郷の方へ曲がってすぐの所で見ることができます。

堀田橋梁。

もともと4連アーチだったらしいのですが、一部が取り壊されていて3連アーチだけが残っています。

この橋梁だけ錆汚れがひどかったので「え?」と思ったのですが、こちらは鉄筋コンクリートであることが判明しているようです。

どうりで...

...こうして見ると、幸野川橋梁だけ「透かし (?)」が入ってたりして、他とデザインが異なりますね。

同じく竹筋コンクリート橋であることが有力視されている長崎県・松浦鉄道の福井川橋梁もこんな感じです。

ホントに竹筋コンクリートなのか?

今後の調査結果に期待が膨らみます。

ところで!

今回は車でアクセスできる橋梁だけ見てきましたが、実はまだあるのです。

次なる目的地は菅迫橋梁と廣平橋梁!

いずれも徒歩でしかアクセスできない大規模橋梁です (菅迫は11連、廣平は9連!)。

学生君たち、今度ハイキングがてら行ってみない?

 

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